高齢者住宅

施設で看取るということ

介護施設で最期を迎える

介護施設で働いていると多くの方の最期に立ち会う機会があります。思いがけない死もあれば、ゆっくりと眠るように命が終えていくという死もあります。私たちは人生の最終段階のお世話しかすることがないので、お元気な頃から少しずつ弱っていく様子を見ているご家族の思いは計り知れません。

特別養護老人ホームの多くで看取り介護が行われています。介護保険の報酬でも看取り介護にかかる加算が拡充されるなど、介護施設での看取りは社会的にも求められたものになっています。介護施設は医療機関と異なり、医師や看護師など医療職の体制は手薄です。また、介護職員の知識や技術のバラつきは大きく、人が亡くなるという精神的な重圧は介護職員にとって想像以上に大きいものになっています。

 

コロナ禍の看取り

介護施設がコロナ禍で大きく変わったことに「面会」があります。入居施設の場合、入居者の方が外に出歩くということは少なく、外部(職員や面会者など)から持ち込まれない限り入居者が感染する可能性はないため、どうしても面会を制限する必要があります。残念ながら多くの介護施設においてクラスターが発生したことは周知の事実ですが、決して介護施設が感染対策をおろそかにしている訳ではないと思います。

感染拡大から長い期間が経過していますが、2年以上ご家族と面会することも叶わないというケースも出てきています。こればかりは感染状況の収束を待つしかありませんが、介護施設にかかる精神的、物質的(防護用品や感染対策用品)な負担は馬鹿になりませんし、寂しい思いをする入居者、ご家族も多くいらっしゃいます。

ある施設では、看取り期のみ面会を解除してご家族との時間を取れるように配慮していたと言います。長い期間にわたって介護施設にお世話になっていても、最期は家族と一緒にいたいというのは自然な感情でしょう。逆に、長い期間会うことが出来なくなってしまったことで、施設に入れてしまったことに対して罪悪感を持つ家族もいるといいます。

 

介護施設での看取り

以前、ご夫婦同室で介護を受けていた方の看取りに立ち会ったことがあります。お互い認知症があり、最期の方にはコミュニケーションを取ることもできなかったのですが、ご主人が旅立たれた時に寝たきりの奥様がポツリと声を出したことがとても印象的でした。

「死んだの?やっと苦しくなくなったね。お父さん、わたしももうすぐ行くよ…」

か弱い声でしたが、長年ご夫婦として共に生活をされて、最期は同じ部屋でご主人を見送った奥様はきっと幸せだったのではないか、そんな風に思っています。また、ご家族からも「自宅で生活していたら、こんな風に穏やかに送ってあげることはできなかったので、施設に入って本当によかったです。」という言葉をいただきました。

介護施設を選ぶということは、人生の終末期をどのように過ごすかを決めることと同じです。入居される本人のみならず、ご家族とっても大きな決断です。人生の終末期は誰にとっても一度しかありませんので、そこの施設ではどのような生活を送れるかしっかりと聞いて悔いのない選択をすることの大切さを感じています。

 

在宅での看取り

先日、在宅での看取りを記録したノンフィクション「いのちの終(しま)いかた 「在宅看取り」一年の記録」(下村幸子)を読みました。埼玉県新座市で地域医療を支える高齢の医師を取材した内容で、在宅での看取りをテーマにしています。これを読むと死生観や家族観、人生の終末期の生き様などさまざまなことを考えさせられる内容でした。

施設と在宅という違いはありますが、介護に携わる多くの方に読んでもらいたいと思った書籍です。

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